山城踏査日記Ⅳ

中世、近世を問わず全国のお城を訪ねています。神社仏閣、鉄道も好きです。

浜松城 その3

浜松城の続きです。

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天守曲輪の井戸です。

 

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 天守曲輪内から見た天守門です。

屋根の庇が少し長く感じます。

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浜松城の整備計画図です。

天守曲輪の周囲に土塀を復元する予定ですが、発掘の度に新しい発見があり整備は先のようです。

下の富士見櫓の石垣の保全の関係などで計画はまだ白紙のようです。

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富士見櫓の予定地の現況です。

発掘調査は終わっています。

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二の丸の堀の発掘調査の位置で。

新しい施設を造るのでしょうか。

堀など本来の遺構の整備を進めてほしいですね。

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本丸部分です。

かなり遺構は破壊されています。

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上の写真の右側です。

本来はここに本丸があり、菱櫓や鉄門があったのですが、明治時代に何故か半分に削られてしまいました。

石垣もあってかなりの高台なのになぜ削られてしまったのか不明です。

せめて本丸部分の石垣が残っていたならかなり浜松城のイメージも変わったことでしょう。

現在は歩道となっているのでかなりの費用が掛かるでしょうが、本丸部分の削られた部分を盛土して復元して菱櫓や鉄門などを復元すれば浜松城のイメージアップになるでしょう。

発掘調査を行えば本丸の石垣の位置などが判明すると思います。

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浜松城の縄張りと現況図です。

浜松城は一時徳川家康の居城となっていたことから縁起のいい城として、ここに入る大名は老中などに出世することが多かったために出世城と呼ばれ、登龍門でした。

その割には城自体は天守は無く、櫓の数も少ない地味な城でした。

 

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浜松市のマンホールです。