山城踏査日記Ⅳ

中世、近世を問わず全国のお城を訪ねています。神社仏閣、鉄道も好きです。

今泉道善処刑の地

愛知県北設楽郡設楽町

田峰城の近くにある今泉道善処刑の地です。

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祠が建っています。

淋しい場所です。

道善畑と呼ばれています。

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天正3年の長篠合戦で負けて帰ってきた城主の菅沼定忠が田峰城に入ろうとしたら家老の今泉道善が謀反を起こして城に入ることが出来ませんでした。

 

菅沼定忠は翌天正4年7月14日に夜討ちを掛けて道善の一族郎党96人を討ち、首謀者の道善をこの場所に埋めて生きたまま鋸引きで処刑しました。

 

あまりにあっさりと落城したために地元では田峰の城ではないがさっさと片付けようみたいに言い、言い伝えられています。

 

 

田峰城 その4

田峰城の続きです。

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御殿です。

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平成年に復元されました。

発掘調査に基づいて復元したのではなく書院造りの建物として建てられました。

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内部です。

床の間です。

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広間です。

欄間は筬欄間風。

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上段之間です。

なんと鍵上段になっています。

鍵上段は聚楽第などに採用された特別な間です。

現存するのは西本願寺、伊勢の慶光院、仙台の瑞巌寺のみです。

復元された熊本城の本丸御殿の昭君の間でも有名です。

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そこでよくよく田峰城の御殿の間取りを見てみると聚楽第の指図とも言われる匠図に基づいて復元されているようです。

中門や色代、車寄せしっかり作られています。

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なんとご丁寧に上上段の間まであります。

これにはビックリ。

田峰城で上上段の間には誰が座るのでしょうか。

本来は兜などはここには飾らずに御殿飾りをして、武家の人形を並べると立派だと思う。

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御殿の中門。

田峰城の御殿は模擬復元ですが、聚楽第を模した上上段や鍵上段の間を備えた古式ゆかしい間取りなので、そういう意味では必見ですね。

もうすこしそのあたりをアピールすれば観光客も増えるのでは。

(終わり)

 

 

 

 

 

 

 

田峰城 その3

田峰城の続きです。

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復元された厩です。

立派な建物です。

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説明です。

遠侍、草間、立場の三室から構成されています。

発掘調査に基づき復元されたわけではないので、一般的な構成を示したものです。

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内部です。

写真が展示されていました。

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石塔です。

城内にあったものが集められました。

(続く)

 

 

田峰城 その2

田峰城の続きです。

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道寿曲輪です。

家臣の道寿の屋敷がありました。

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石碑です。

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復元された物見櫓です。

木造で建てられています。

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別アングルです。

中に入れます。

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裏門です。

 

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物見櫓から見た裏門です。

枡形虎口になっています。

(続く)

 

 

 

 

 

 

 

田峰城@愛知県北設楽郡設楽町

田峰城は愛知県北設楽郡設楽町田峰にあった中世城郭です。

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山城です。

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説明です。

田峰城は奥三河の国人、山家三方衆のひとり菅沼氏の城でした。

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縄張り図です。

山を削り階段状に曲輪を作っています。

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堀に架か橋です。

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幅広い堀です。

右手に柵がみえます。

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井戸曲輪です。

井戸は今はありません。

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蔵屋敷です。

倉庫があったのでしょうか。

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畦曲輪です。

説明が豊富です。

(続く)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

名古屋城本丸東南櫓

名古屋城本丸東南櫓です。

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名古屋城天守が改修のため休館しているので隅櫓を順次公開しています。

本丸の東南隅にありました。

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重要文化財です。

木造のため味があります。

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屋根の棟瓦です。

よくみると菊の御紋が。

徳川氏の城なのになぜ。

実は明治以降の時代に名古屋城が一時離宮となっていました。

離宮時代に濃尾地震により被蓋を受け修理した際に菊の紋の瓦を使用しました。

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最上階です。

櫓なのに天井があります。

これも離宮自体の修理によるものです。

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釘隠しが使われています。

御殿には使われますが、櫓に使われることは珍しいです。

これ離時代の名残です。