愛知県北設楽郡設楽町の
田峰城の近くにある今泉道善処刑の地です。
祠が建っています。
淋しい場所です。
道善畑と呼ばれています。
天正3年の長篠合戦で負けて帰ってきた城主の菅沼定忠が田峰城に入ろうとしたら家老の今泉道善が謀反を起こして城に入ることが出来ませんでした。
菅沼定忠は翌天正4年7月14日に夜討ちを掛けて道善の一族郎党96人を討ち、首謀者の道善をこの場所に埋めて生きたまま鋸引きで処刑しました。
あまりにあっさりと落城したために地元では田峰の城ではないがさっさと片付けようみたいに言い、言い伝えられています。