本郷城@岐阜県揖斐郡池田町
土塁の上に立つ石碑です。
土塁には石垣の石が見えます。
石碑です。
本郷城跡と書かれています。
昭和6年に建てられました。
遠景です。
田の中に土塁が残ります。
説明板です。
築城年代は明らかではありませんが、承和ころ池田雄実が築いたとも、南北朝ころに土岐頼忠が築いたとも言われます。
土岐氏の後は国枝為介が入ります。
関ヶ原合戦では西軍に属したために城は焼かれました。
本郷城の復元図です。
二重堀に囲まれていました。
本郷城の古絵図です。
本郷城の出土瓦です。
現在残る土塁は櫓台の可能性があります。
瓦の出土により天守相当の大きな櫓が建てられていた可能性があります。
本郷城は中世城郭というより織豊期城郭だったようです。
碑文の説明です。
武将の馬乗り石です。
本郷城の石垣です。
土塁の下部にありました。
櫓台は石垣作りだったかもしれません。
城跡の入り口です。
左の田は堀跡です。
曽根城@岐阜県大垣市
石碑です。
華渓禅寺の前にあります。
寺のあるところは高くなっていて城跡を感じます。
前の田は堀跡です。
説明です。
曽根城は室町時代末期に稲葉通富によって築かれました。
稲葉氏の拠点となりました。
稲葉良通は西美濃三人衆の一人として活躍しました。
天正16年(1588)に西尾光教が稲葉氏に代わり曽根城主となりましたが、関ケ原合戦後に廃城となりました。
もう一つの石碑です。
小さいです。
説明版です。
説明板の城の図です。
かなり大きな城でした。
絵図の城郭の部分です。
御城跡が本丸跡です。
その隣に土塁囲みの曲輪が並列しています。
その周囲を二の丸が囲み、周囲に家臣の屋敷が並びます。
三重の堀がありました。
石垣の跡です。
華渓寺の裏側です。
大きな石が使われています。
以前に発掘調査が行われて城の石垣と確認されました。
寺の西側です。
堀跡です。