山城踏査日記Ⅳ

中世、近世を問わず全国のお城を訪ねています。神社仏閣、鉄道も好きです。

船木山古墳の切石

岐阜県本巣市の船木山は古墳の多い山です。

名古屋城の石垣に使われた切石です。

 

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説明です。

名古屋城の石垣に使われました。

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切石です。

刻印が刻まれています。

下には矢穴の跡が見えます。

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刻印の拡大図です。

おおしまと刻まれています。

刻印は名古屋城の石垣普請のため石が混ざらないように大名の印を付けて区別したものです。

 

 

 

 

本郷城@岐阜県揖斐郡池田町

本郷城@岐阜県揖斐郡池田町本郷にあった中世城郭です。

 

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土塁の上に立つ石碑です。

 土塁には石垣の石が見えます。

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石碑です。

本郷城跡と書かれています。

昭和6年に建てられました。

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遠景です。

田の中に土塁が残ります。

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説明板です。

築城年代は明らかではありませんが、承和ころ池田雄実が築いたとも、南北朝ころに土岐頼忠が築いたとも言われます。

土岐氏の後は国枝為介が入ります。

関ヶ原合戦では西軍に属したために城は焼かれました。

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本郷城の復元図です。

二重堀に囲まれていました。

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本郷城の古絵図です。

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本郷城の出土瓦です。

現在残る土塁は櫓台の可能性があります。

瓦の出土により天守相当の大きな櫓が建てられていた可能性があります。

本郷城は中世城郭というより織豊期城郭だったようです。

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碑文の説明です。

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武将の馬乗り石です。

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本郷城の石垣です。

土塁の下部にありました。

櫓台は石垣作りだったかもしれません。

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城跡の入り口です。

左の田は堀跡です。

 

 

 

 

 

西保北方城@岐阜県神戸町

西保北方城は岐阜県安八町神戸町西保にあった中世城郭です。

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石碑です。

電柱の傍らにあります。

少しわかりにくいです。

不破氏が城主でした。

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城跡は宅地になっています。

石垣や土塁が残っているともいわれますが、宅地のためよくわかりませんでした。

 

 

 

 

軽海西城@岐阜県本巣市

軽海西城は岐阜県本巣市真正町にあった中世城郭です。

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城跡に建つ円長寺です。

 

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 説明板です。

軽海西代には西村勘九郎(後の斎藤道三

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寺の周りに帯状の低地があります。

城跡でしょうか。

 

 

 

曽根城@岐阜県大垣市

曽根城は岐阜県大垣市曽根町にあった中世城郭です。

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石碑です。

華渓禅寺の前にあります。

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寺のあるところは高くなっていて城跡を感じます。

前の田は堀跡です。

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説明です。

曽根城は室町時代末期に稲葉通富によって築かれました。

稲葉氏の拠点となりました。

稲葉良通は西美濃三人衆の一人として活躍しました。

天正16年(1588)に西尾光教が稲葉氏に代わり曽根城主となりましたが、関ケ原合戦後に廃城となりました。

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もう一つの石碑です。

小さいです。

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説明版です。

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説明板の城の図です。

かなり大きな城でした。

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絵図の城郭の部分です。

御城跡が本丸跡です。

その隣に土塁囲みの曲輪が並列しています。

その周囲を二の丸が囲み、周囲に家臣の屋敷が並びます。

三重の堀がありました。

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石垣の跡です。

華渓寺の裏側です。

大きな石が使われています。 

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以前に発掘調査が行われて城の石垣と確認されました。

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寺の西側です。

堀跡です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

揖斐陣屋跡

岐阜県揖斐川町にあった揖斐陣屋跡です。

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石碑です。

遺構はありません。

石碑のみです。

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宅地の片隅に立つ碑です。

雰囲気もありません。

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揖斐陣屋の絵図です。

陣屋とは言っても石垣や堀があり、城郭構えです。

城といってもよい規模でしたが、破却されて今は石碑のみです。