国吉城 その3
国吉城の続きです。
ここで国吉城の歴史を少し。
若狭の守護大名の武田氏の重臣の粟屋勝久が戦国時代に築きました。
永禄6年(1563)から毎年のように朝倉氏の侵攻を受けます。
その様子は『国吉籠城記』に記されていますが、守り切り、難攻不落の城として有名になりました。
元亀元年(1570)には織田信長が朝倉氏を攻める途中に国吉城により泊っています。
その際に信長は粟屋氏に籠城の武功を称賛しています。
それは今から攻める朝倉氏に勝った勝久だからね。
天正元年(1573)の信長の朝倉氏攻めに勝久は参戦しています。
本能寺の変の後は秀吉の家臣の木村定光が入ります。
国吉城は木村氏が城主の時に大きく改修されました。
元和元年(1615)に廃城となりました。
山頂の本丸に建つ石碑です。
大きな城の割りに石碑は小さいです。
標高197mです。
本丸の虎口です。
枡形虎口です。
中世の山城ですが、石垣が使われていました。
以前は草木に覆われていて土塁造りの城と思われていました。
その後の発掘調査で石垣が判明しました。
木村氏が石垣造りの城に改修したと言われています。
石塔の数数。
本丸です。
きれい削平されています。
(続く)