江戸城内の大嘗宮
大嘗宮が建てられます。
現在のような形になったのは明治時代からです。
今回は30年振りです。
本丸内は規制が多く自由に歩き回れません。
松の廊下跡も規制されていて見れなかった。
悠紀殿と主基殿という二つの建物を中心に多くの建物が並んでます。
基本的に掘立建物が質素な造りに見えます。
悠紀殿と主基殿は屋根の上の千木の切り口向きが異なります。
一般的には縦は男神、横は女神といわれます。
これらの建物が神道に伴うものとわかります。
悠紀殿と主基殿の屋根は当初杮葺きの予定でしたが、費用などの関係で簡易な板葺になりました。
24億円もかかったということでもったいないとか言う人もいますが、文化の伝承にはお金がかかるものです。
板葺ではなく杮葺きで建ててほしかったです。
もったいないということですべて簡略化してやめてしまえば日本らしさもなくなって文化のない薄っぺらい国になってしまうでしょう。
建設は清水建設が請け負いました。
人と比較すると石の大きさが実感できます。
天守台には入れませんでした。
出口は平川門です。
大手門から出られるのですが、時間が遅くなり大手門は閉門となり平川門からとなりました。
平川門の高麗門です。
人の波は続きます。
平川門を出た橋です。
すこし珍しい構造をしています。
平川門近くの一ツ橋門跡です。
石垣の一部が残ります。
一橋家の屋敷がありました。