山城踏査日記Ⅳ

中世、近世を問わず全国のお城を訪ねています。神社仏閣、鉄道も好きです。

江戸城 その10

江戸城の続きです。

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江戸城天守台です。

石垣のみで天守はありません。

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とても巨大な天守台です。

隅石がひび割れています。

火事にあったようです。

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天守台の裏側です。

角はきれいな算木積みです。

石も割れていません。

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天守台の上には登れます。

階段は埋められていてスロープになっています。

 

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天守台の内部は穴藏になっています。

穴藏があるのは徳川氏の天守に多いです。

名古屋城大坂城天守にもあります。

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天守台の上です。

かなり広いです。

 

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天守台から見た北桔梗門です。

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江戸城天守は三度建てられています。

初めは徳川家康により建てられた慶長(1607)の天守

次は徳川秀忠により建てられて元和(1623)の天守

三度目は徳川家光により建てられた寛永(1638)の天守

いずれも短期間で火事により焼失しています。

家光の天守も明暦の大火(1657)により焼失します。

その後4度目の天守を建てるべく元治元年(1659)に天守台が作られました。

しかし、幕府内では平和な時代に天守は不用という意見が強く、財政難もあってとうとう天守が建てられることはありませんでした。

最近は一部で江戸城天守を復元しようという動きがあります。

しかし、現在の天守の上に天守が建てられたことはなく、史実に基づかない復元となってしまうために作ることは不可能です。

寛永天守は指図などがありかなり正確に復元できますが、天守台自体が異なるので天守は建てられません。

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天守台から見た本丸です。

この広い敷地には広大な本丸御殿が立ち並んでいました。